雑記
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初めまして① ひだまりのかげろうって誰?
いよいよ、令和3年から山陰の小都市で催眠心理カウンセラーとして活動を開始することといたしました、ひだまりのかげろうと申します。
陽気がうれしい春の日に立ち上がる陽炎。あるのにない、ないのにある、人の心も同じです。
見え隠れするご自身の本心としっかり向き合えるよう、皆様のお手伝いをしたいと思っています。
このブログでは、念願である心理療院開設に先立ち、私の人間味の部分をご覧いただけたらと思います。
いつか、このブログを読んでいただいた方とお会いできることを信じています。
スティーブ・ジョブズも言っています。未来において、点と点がいつか必ず結びつくと。
初めまして② 点と点
スティーブ・ジョブズの名言
未来に先回りして点と点をつなげることはできない。君たちにできるのは過去を振り返ってつなげることだけなんだ。だから点と点がいつか何らかのかたちでつながると信じなければならない。
自分の根性、運命、人生、カルマ、何でもいいから、とにかく信じることだ。歩む道のどこかで点と点がつながると信じれば、自信を持って思うままに生きることができる。たとえ人と違う道を歩んでも、信じることが全てを変えてくれる。
初めまして③ 消えないもの
カール・グスタフ・ユングの名言
「あなたが向き合わなかった問題には、運命として、いずれ出会うことになる。」
カール・グスタフ・ユング(1875年7月26日 – 1961年6月6日)は、スイスの精神科医・心理学者。ブロイラーに師事し深層心理について研究、分析心理学(ユング心理学)を創始した。
因みに彼の没後半年の12月1日に米原幹人は生まれました。(*^_^*)
初めまして④ バックトゥザフューチャーⅢ
映画バックトゥザフューチャーⅢのラストシーンでは、発明家のドクが機関車型のタイムマシンに乗って主人公マーティの前に登場します。ドクは妻と2人の子ども、そして愛犬を連れて、もう単身ではありません。
ドクは、機関車の轟音よりも大きな声でマーティに叫びます。
「人間の未来はすべて白紙だっていうことさ! だから未来は自分がつくるのだ!」
監督のロバート・ゼメキスは、この言葉を世に伝えるために、これほどの壮大な3連作を創ったのですね。
そう、たったこれだけのことを言うために。
人の話を聴く① たまたま
私は認定心理士の資格を取得するために、放送大学という通信制の大学に在籍し、本格的に心理学を学びました。ここでは、面接授業といって、講師から直に学ぶ機会もあります。
私は「カウンセリング実習」という面接授業に参加しました。
「相手の話を共感をもって聴く」という実習です。講師の講話の後、参加者が2人ペアになって実習開始です。話す側は、自分が経験したつらい思い出を話すことになっています。聴く側はそれを共感をもって傾聴することになっています。
私がペアとなった男性は、自分が離婚をした経験を話されました。この授業に参加している者はあかの他人で、面識もありません。今後も会う機会はないでしょう。基底には知らない者同士という安心感もあります。とまどいながらも、我が子に対する思いを含め、つらい思いを話されました。私はうなずきながら、その話を聴くことに徹しました。内容はだんだんと彼自身を責めるものに変わっていきました。制限時間の5分がきましたので、私はたった一言だけ最後に言いました。「しんどかったですね。でも、100パーセントご自分が悪かったわけではないですよね。」それは、私の心に自然と湧き出た言葉でした。
すると、みるみる相手の顔がくしゃくしゃになり、目には涙があったように思います。そして「うん、うん」といって言葉にはなりませんでした。
講師のまとめの後、帰り際に、ペアとなったその男性が私のところに駆け寄って、取り戻した笑顔でお礼を述べられたのが、とてもうれしかったことを覚えています。
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精神科医の名越康文さんが、カウンリングの世界観を次のように述べています。
「自分(カウンセラー)がいかにすっきり、自分の思いでないところで人に助言をして、そして、たまさか10回に1回位、ポーンとそれがいい音を立てて、相手が『ハッ』となれる、でも、自分が貢献していたか貢献していなかったかついぞわからない、そんな世界なんです。」
私にとって面接授業の実習は、まさしく「たまさかな(思いがけない)」体験でした。そこで発した私の言葉はポーンといい音で響いたようでしたが、きっとフロック(たまたま)であったでしょう。ただ、自分がカウンセラーとしてヨチヨチ歩きを始めた記念日としてはこの「たまたま」を大切にとっておきたい貴重な経験となりました。
今、私は、催眠という技法を習得し、これを適切に用いれば、その「フロック(たまたま=当たり外れ)」を極力無くすことができると考えています。
そして、これから叶うであろうあなたと私の出会いは、たまたまなのかどうなのか、いかが思われますか。
人の話を聴く② 子どもの相槌
私が小さい頃の話です。
たぶん小学校低学年の頃と思いますが、祖母が私をつれてある女性のところを訪ねました。祖母が私を連れていくのは、たぶん親しい友人に自分の孫を見せたかったのでしょう。
祖母は出かける前に私に次のように言いました。
「あのね、今日出かける先の女の人がいろいろ話をされると思うけど、おまえは、その話をフンフンといってきいてあげて頂戴。わかったかい?」
祖母は、たぶん、「退屈しても我慢せよ」ということが言いたかったのでしょう。しかし、子どもの私は額面どおり受け止めますから、フンフンと相槌をうつことに集中しました。
訪問を終えて数日経った後、祖母が私に言いました。
「あの女性にまた会ったんだけどね、おまえはとってもいい子だねと誉めておられたよ。おまえがフンフンと言って聴いてくれるから、とっても話しやすかったって。」
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祖母の友人のお気持ちは別として、祖母が、もし本当に私の退屈を紛らわすため「相槌を打て」と言ったなら、それは心理をついた相当なテクニックですね。実際私は退屈しなかった訳ですから。
人の話を聴く③ 妖怪が見える
ある知人が私に声をかけてきました。少し相談があると。
「夜、まぼろしを見て困っている。」
まだ、カウンセリングの看板を上げる前のことです。
突然のことでしたし、なんで私にと面食らったのが正直な思いでしたが、すぐ頭を切り替えて、詳しく聴くことにしました。いわゆる幻視という現象のようでした。
安定剤の処方は受けているとのことでしたので医療受診については問題ないと考え、私は次のように言いました。
「僕はきみのご家族のように「大丈夫だから寝てなさい」なんていわないよ。きみが怖い妖怪のようなものを見てしまうというのも本当だろうし、とても苦労されているのがわかるから。」
彼の顔を覗き込むようにして次のように続けました。
「でも、本当は自身でわかっているのではないかな。だって、きみ自身がその妖怪を「まぼろし」と言ったじゃない。「まぼろし」だから、いずれ解決すると思うよ。」
彼は少し安心したように言いました。
「なるほどそうだね。君にはカウンセリング料を払わなければならないねえ。(笑)」
初回はこんな感じでした。
2,3日して、再び相談がありました。やっぱり幻視があると。私は次のように言いました。
「それでは、こうしてちょうだい。今晩、妖怪が出たら、何の抵抗もせずに、耐える。そして、抵抗しなかった場合、最後そいつはどうなるかをよく観察して僕に教えて欲しい。」
次の日、彼から報告がありました。
「やっぱり出てくるんだけど。」
「それはそうだよ。それよりも、何も抵抗しないというのはやってみたの?」
「抵抗しないと家族を襲おうとするから」
「家族に何かされてしまうというのを見過ごせない気持ちはわかるけど、それでも何もせずに耐えてみてよ。」
そして次の日、このように報告がありました。
「何もしないとそのまま消えてしまった!」
「そう。それなら、しばらく、『何も抵抗しない、こちらからは一切手を出さない』というのを続けてね。必ず、約束だよ。」
1週間ほどしてから彼から「昨晩は出なかったよ!」と報告がありました。私はそれを聴いて安堵で胸をなでおろしました。
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この経験は、その頃の私にしてみれば、とてつもない大事業であったように記憶しています。また、「妖怪を観察する」とは、我ながら良く発想したなと振り返ります。つまり、問題の対象を客観視するという具体的な心理療法を実践していたわけです。
ただ、今の私なら、妖怪が象徴するものは何か、注意深くそれを探り、原因の根本的な解消を目指したいと思います。
人の幸せ① 自分らしさ
私は地元の市役所に勤務していました。
30代半ばの頃、自分の仕事の能力に自信を失い、ふさぎ込んだ時期がありました。どうしても人と比べて自分が事務職員として劣っているように思えるのです。その後係長に昇進し、展開を迎えたように思えましたが、係長になったらなったでその分重くなった責任で圧迫されそうでした。
この頃、ずいぶん心理学の本を読みあさりました。なぜ、そのような気持ちがするのか答えを求めたのです。しかし、なかなか納得する回答にめぐり合いませんでした。
そんな中、気づいたことがありました。思い起こせば就職したての頃、あの頃実は自分はとても光っていたよなと。入職して最初の仕事は福祉担当課での業務でした。事務を経験してから、2年めにはケースワーカー(福祉相談員)の仕事に変わりました。ここで自分は色合いを出したようです。
家に風呂がなく、水浴びで済ませている(それも川での行水ですよ!!)単身のおばあさんがいたので、老人ホームへ連れて行き、一緒に風呂に入り、垢だらけの彼女の背中を流しながら施設入所を勧めたこともあります。また、老夫婦の健康状態に陰りが見られてきたので、遠方に住む子を訪問することにしましたが、その際、老夫婦の家の柿の木になっていた実を一つもぎとり、ポケットにしのばせて出かけたこともあります。
さらに、こんなこともありました。ある母子家庭の母親が、子どもの自転車の調子が悪いというので、私は工具を持参して直してあげました。実はこの時、意外と母親は喜ばなかったことを覚えています。きっと母親の思いは買い替えにあったのでしょうね。
私のアクティブなケース指導を先輩方はとても評価してくれましたが、自分としては当たり前のことをしているつもりでした。だから、「やるね~」と誉めてもらっても全くうれしくありませんでした。
でも、次のことを思い出したとき、気づきが始まりました。何を思い出したかというと、当時私の担当ケースを引き継いだ後輩が、「先輩の書いたケース記録を読んだら心がキュンとなって本当に涙がでてきましたよ~」と言ってくれたことです。私はその時一呼吸おいて「ああ、自分は後輩の心を動かす十分な仕事をしていたんだ」と気づきました。
そして、それが一番「自分らしい仕事」であったと重ねて気づきました。そして、続いて「光る」ということは「自分らしくある」ということであると解りました。さらに「自分らしくあることが間違いなく幸せの本質の一つである」との思いに至ったのです。
私は、この場合の「幸せ」は他人に比べてどれだけ「幸せ」かという「比較の幸せ」とは違う!と実感しました。もっと言えば、幸せは「絶対値」であり、他人と比較して点数づけをする「相対値」とは違うのです。
年齢は40歳を少し超えたの頃の気づきでした。
人の幸せ② 落語家の幸せ
市役所で人権教育・啓発の仕事に携わっていた頃。講演会の講師に人権落語も得意とする中堅の落語家を招きました。
彼は新人時代から大きな賞を取るほどの実力者であり、無事講演会も終えることができました。終了後、私が車を運転して講師を飛行場へ送ることになりました。車中で会話が弾み、なんと同い年であることまで分かりましたので、調子に乗って例の「幸せとは」(幸せとは(1))というテーマに対する私の答えを聞いてもらうことにしました。
するとそれを聞いた落語家は言いました。「なるほど、『自分らしく』というのはとても大事なことと思う。そして、さらに言えば、その自分らしい芸でお客さまに喜んでもらえれば最高の喜びです」と。
私としては、お客様に喜んでもらう、つまり、良い点をもらうことは、「絶対値」としての評価か、「相対値」としての評価かが気になりました。
きっとこの方は、多くの賞を取った経歴からも分かるように落語家としてとても優秀で実力のある人物なのでしょう。その勢いの中で、今は評価してもらえる自分を追及中なのだと思いました。しかし、自分として満足な評価が得られなかった時、落ち込むことがあれば、きっとそれは点数の追及だったということになります。
この方らしい落語を追及していけば、評価はおのずとついてくると思うのですが。